そして、魔女の家。
新八姫がそーっと中を覗きます。
「あのー、すみません…お登勢さん…いらっしゃいますか?」
「おや、新八姫じゃないかい。今日はどうしたんだい?」
煙草をくわえ、シャッキリと背筋を伸ばした魔女お登勢。
彼女は新八姫が幼い頃からの顔なじみなのです。
「あの…僕…僕を人間にして下さいっ!」
新八姫は魔女お登勢に滔々と青年に対する想いを伝えます。
全てを聞いたお登勢は、はぁ、と大きく溜息を吐きました。
「アンタ何馬鹿な事言ってんだい。人魚が人間になる時の代償は聞かなかったのかい?声を貰うんだよ?その上その人間と結ばれなかったら海の泡となって消えちまうんだ。アンタにその覚悟は有るのかい?」
そんな話は聞いてはいませんでした。
でも、このままではあの青年は他の女性と結婚してしまう。それを思うと新八姫の胸は張り裂けそうです。
そして、あの青年は自分を探してくれている。それを想うと新八姫の心は幸せで一杯になるのです。
「…覚悟は有ります。僕を人間にして下さい!」
新八姫の一途な瞳に、魔女は大きく息を吐きだしました。
「じゃぁこの薬を飲みな。ただし、この薬を飲んでから三日の間にその人間と結ばれなかったら、オマエは海の泡になっちまうからね?くれぐれも気を付けるんだよ。」
「え!?三日!?」
「そう、三日。止めるかい?」
魔女はそれで新八姫が諦めると思っていました。
「…止めません。僕は人間になります。」
「…そうかい…」
はぁ、と大きく溜息を吐いた魔女は、ばしん、と姫の背中を叩いて微笑みました。
「分かった、頑張りな。でもね、上手くいかなそうだったら私ぁなんとかするからね。恨むんじゃないよ?」
「…え…?」
「さぁ、行っといで!」
ニヤリと笑った魔女の『なんとか』が少し怖かったのですが、王子が今にも結婚してしまうのではないかと不安になって新八姫は急いでいつもの浜辺に向かいました。
そっと海面から顔を出すと、丁度そこには誰もいなかったので、砂浜に上がって新八姫は早速薬を飲みました。
すると、下半身が酷く痛くなり、新八姫は砂浜に蹲ってしまいました。
「おい、アンタ、具合でも悪ィのかィ?」
「………」
頭上から聞こえる優しい声に新八姫が顔をあげると、そこにはいつも見ていた恋しい王子がおりました。
嬉しくなって姫が返事をしようとしますが、もう既に姫の声は出なくなっていました。
仕方が無いのでフルフルと首を横に振ると、王子は怒った表情になりました。
『ちゃんと返事をしなかったから怒ってしまったのかな…?』
新八姫は不安に顔を歪めましたが、王子はそんな事は気にしていなかったようです。
「そんな顔色して何が大丈夫なんでィ。」
王子は姫に手を差しのべ、そっと身体を起こしました。
「どうした?足怪我でもしてんのかィ?」
王子がそっと姫の足を撫でると、そこから痛みが和らいでいきます。
安心してニコリと微笑む新八姫を見て、ソーゴ王子は頬を赤らめます。
「楽に…なりやしたか…?そりゃ良かった…」
そう言って微笑む王子を見て、姫も頬を赤らめます。
「あー…取り敢えず城に来なせェ。医者に診せやす。」
王子は自分の着物を新八姫に巻きつけて、そっと抱き上げて城まで運びました。
城で新八姫は何人もの名医に診せられました。
しかし、人間の医者に人魚の姫の様子は分かりません。
なので何処か遠くから流されてきたショックと疲れなのだろうと診断され、暫く城で世話をする事になったのです。
「お前さんは一体何処からやってきたんですかィ?」
王子に尋ねられても、新八姫は海を指差すしか出来ません。
「海の向こう、ってことですかィ?それとも海の中…何て事ァ有りやせんね…」
そりゃァ俺の願望だねィ…
言って自嘲するように微笑む王子は綺麗で、新八姫はぽーっと見惚れてしまいました。
その綺麗な顔がどんどん近付いて来て、遂には唇を塞がれて姫はハッとしました。
今まさに行われている行為が『口付け』というもので、愛情を確かめ合う行為なのだということは、ついこの間山崎から聞いて知っていました。
それが今、王子に為されているという事は、王子は自分の事が好きなのだろうか?
新八姫は少しだけ期待してしまいました。
でも、王子の唇が動くたびに新八姫の身体には電気が走り、力が入らなくなってしまい、何も分からなくなってしまいます。
そしてそれは決して嫌なモノではなく、もっと沢山欲しいと思ってしまうのです。
「…海の味がする…きもちーですかィ?とろんとしてやすぜ…?」
気持ちいい…?
確かにそれはそんな気分です。
姫がコクコクと頷くと、王子は満足そうに笑います。
「俺も…お前さん相手だときもちー…」
そろり、と頬を撫でられると、その行為も『気持ちいい』
その気持ちを伝えようと、スリ…と王子の手に擦り寄ると、再び唇を吸われて今度は何かが姫の口の中に侵入してきました。
でもソレも王子の味で『気持ちいい』ものでした。
だから新八姫がソレをペロペロと舐めると、遂には王子はそっと姫をベッドに寝かせ、体中を愛おしそうに撫でるのです。
「王ー子ー!ソーゴ王子ー!カグラ姫がお着きですよー!!」
しかしその行為は王子を呼ぶ声で途切れてしまいました。
「あー…そういやァ今日はチャイナが来るんだった…面倒くせーけど、ちょいと行ってきまさァ。」
そう言って姫の頭を一撫でし、ちゅう、と口付けを残して王子は呼ばれるまま行ってしまいました。
残された姫はと言えば、未だ余韻さめやらぬままぼんやりとベッドに横たわっていました。
大好きな王子様と『気持ちいい』事をしたのだから、嫌われてはいないよね…?
噂のお姫様とも結婚する程仲良くはないみたいだし!
もしかしたら…僕と恋人になってくれるかも…
なにせ僕は人間になったんだもの!
物語で見たように、手を繋いで散歩をしたり、一緒に一つのアイスクリームを食べたり出来るかもしれない。
新八姫がそう想いを馳せて、恥ずかしくなってベッドに顔を埋めていると、コンコン、とノックの音がして数人のメイド達が部屋に入ってきました。
「ソーゴ王子のお言いつけで、お召し物をお持ちしました。」
ニコニコと微笑んだメイド達は手早いものでした。
新八姫が反応する前に、既にドレスは着せられていました。
ふわりとした白いドレスは新八姫に良く似合っていて、メイド達は満足気に頷いて帰って行きました。
海の中ではそんな綺麗なドレスなど着た事の無い新八姫は、くるりと回ってスカートを広げてみると、それは綺麗に広がって姫は嬉しくなりました。
くるくると何度か回っていると、慣れない足に疲れて姫はベッドに座り込みました。
「新八くーん!あーっ、もう、こんな所に居たよ…魔女の所に行ったらもう居ないしさぁ!すっごい探したんだよ?王様も姉姫様達も怒ってるよ?」
騒がしい声と共に、ビニール袋に詰められて鳥に運んでもらっている山崎が、窓から新八姫の元に現れました。
魔女の家に着いた時にはもう新八姫が居なかったので、友人に頼んで必死に地上を探していたのです。
「何やってんですかもう!帰るよ新八君。」
袋の中でバチャバチャと暴れながら山崎が言いますが、姫はスカートを捲って足になった下半身を見せました。
「えー!?ちょ…アンタ何やってんだよ!?もう人間になっちゃったのかよ!?…って事は…あと何日…?」
姫が指を三本立てると、山崎はがっくりと項垂れます。
「…魔女に頼んですぐに人魚に戻して貰いますからね!ったくもう!」
フルフルと首を振る新八姫を無視して、山崎は行ってしまいました。
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